sugao pilates

yoga/pilates…

yoga・pilatesの実践で起こる新しい感覚

実践から、新しい(と思うけど、実は以前は持っていた)感覚に出会う


それは筋肉の話ではない
筋肉をベースにすると負荷をかけて鍛える、筋肉をしっかりと伸ばすになる。無理するのがいいってなりそうだ。

その人にとって不馴れな動きを覚えてもらうためには、出来るだけ負荷をかけずに視界を遮断してゆっくりと運動している部分に感覚を澄ませることが大切

ヨガやピラティスの本には、使われる筋肉がよく書かれているから、それが重要だという気にもなる

でも雑誌を見ながらポーズをとり、今○○筋を使ってる!と分かる人はどのくらいいるのだろうか…

ヨガやピラティスでは、いろいろな体勢で見えない背骨や頭の位置を意識して動く、体に触れる触れてもらう、地面と壁と体のあちこちが触れる。。
そんなことを繰り返すうちに感覚が養われていく

手足の位置を空間の中で把握する感覚が戻り、理想的な場所に戻っていくことで、筋肉の使われる不均衡の度合いが小さくなる
使われていなかった筋肉が日々のなかで使われる

徐々に 日常生活の動きからヒップが上がってきたり、ウエストまわりがしまってきたりする


そうすると、筋肉を鍛えて体を変えるってなんか順序が変だ
他に衰えている部分をすっぽかしているよ

とりあえず腕をクロスして胸に置き、目を閉じて片脚で立ってみよう。すっぽかしているところがわかるかもしれない

yoga=心と体を繋ぐ?





ヨガは結合?
雑誌などで何回か、ヨガとは体と心を結合させることと目にしたことがある。
…そうなんですか?
これが私にはまだ解りかねている

結ぶという意味のほかに 得るとか集中とかあるそう←ググった

古くからの書籍にあるサンスクリット語では
それに、すること されることという言葉がくっついてyogaという語になる

心と体をくっつけるという解釈がなんかしっくりこない
心と体を分けて余白が出来たことで集中に向かえると思っているからなのか。
思うことと私自身を一緒くたにするのは危険。。と私が感じているからか。

う~~ん…
いつか自分なりに答えがでたらいいかな。


やった感を求めてませんか

ヨガとピラティスのレッスンを生徒として受けていた時には
ヨガとピラティスを頑張りにスタジオに行くわけで
インストラクターに「頑張らないで」「無理しない」
といわれても、その境界線が分からなかった。



どこまでが無理してなくて、どこまでが無理してるのか?
無理しないと楽するはどう違うのかな。
「無理してなくて、でも楽していない状態」とは?
誰も教えてくれないから、自分で気づくしかない

ピラティスとヨガは全然動きは違うけれど同じところもある。

自分の体に繊細に気づくこと。そのための集中が必要とされることだ。体に瞑想しているのだ。
そうすると、基準は他者ではなく自分である。
比べるのも他者ではなく、昨日の自分や一週間前の自分、右半身と左半身とかになってくる。

マットから離れてもそれは活き続けて、他者と比べて緊張したり、劣等感を感じたりといったストレスは格段と減った。ずっと生きやすくなる。

やった感とは、ハードに体を動かしたときか、可動域以上に体を伸ばしたり痛みを感じたりしたときに感じる「効いた感」。
そのまま続けると、10年後20年後にどうなっているかは保証できない。
ヨガが流行りだした頃に活躍していた先生方は60代になり、人工股関節の手術を受けることになっているのも事実。

私は20年後30年後といわず、ご縁のある方にはできる限り体を痛めるようなヨガやピラティスをしてほしくない。
緩やかで、やった感はなくても、じわりじわりと眠っている神経に電気を通し、筋肉を目覚めさせ、気づいたころにはなんか歩きやすい。体が軽い。そんな体の機能向上に貢献できるようにヨガとピラティスを伝えていきたいのであります。

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